朝七時二十分、私は頬のザラつきを確かめようとして、顔にパンくずをつけた。
洗面所へ行く前に、トーストをひと口かじったのがよくなかった。右の頬を指でなぞり、「昨日よりひどい」と息をのんだあと、小さな粒が洗面台に落ちた。
肌の曲がり角だと思ったものは、六枚切りの食パンだった。
窓の外では、まだ夏のつもりでセミが鳴いている。洗面所の床は素足にひんやりして、隣の部屋からは、いれたばかりのコーヒーの匂いが届いていた。
笑って終われば、気持ちのいい朝だったと思う。
けれど、パンくずを払ったあとにも、指先には少し硬いような感触が残った。頬のあたりがゴワつく。鼻の横も、いつもよりなめらかではない気がする。
顔色がひどく悪いわけでも、大きな変化があるわけでもない。
ただ、何となく冴えない。
その「何となく」が、朝から私の足を止めていた。
今日は友人と、お昼を食べる約束がある。
会いたい。楽しみ。話したいこともある。
それなのに、洗面台の前に立った途端、「今日じゃなければよかったな」と思ってしまった。
友人に会う日を、頬の手触りに決めさせようとしている。
そのことが、ザラつきより少し恥ずかしかった。
頬に触れた朝、今日の私まで曇って見えた

「何となく冴えない」に、ずいぶん場所を取られていた
夏の終わりになると、私は自分の顔を必要以上に調べ始める。
昨日もこうだったか。先週はもう少しよかったか。窓際ならどう見えるか。
洗面所で気になったら、今度は部屋の明るい場所へ移動する。そこで少し安心しても、スマートフォンの内側のカメラを開いて、また気になる。
確かめる回数が増えるほど、自分の顔について詳しくなるというより、気になるところを見つけるのが上手になっていく。
この朝も、私はいつもより長く洗面所にいた。
頬のゴワつきが気になる。薄く塗ったつもりのファンデーションが、鼻の横では妙に存在感を出している。
少し足してみる。
今度は、足したところだけが気になる。
結局、途中までのメイクを直すことになり、テーブルへ戻ったときには、トーストのバターがすっかり染み込んでいた。
本当は、あまり手間をかけたくない。
朝はコーヒーを飲みながらぼんやりしたいし、洗濯機を回したら、それだけで少し働いた気になりたい。
でも、人に会う日は「ちゃんとしている私」で出かけたい。
頑張っている感じは出さずに、自然に調子がよさそうに見えたい。
注文だけは細かい。
肌のことを気にしない、さっぱりした人にも憧れる。けれど、私はたぶん、今日から急にそういう人にはなれない。
「そんなに見られていないよ」
頭の中では、その言葉を知っている。
それでも、相手が見ているかどうかとは別に、自分が自分をどう見てしまうかは、なかなか手強かった。
肌の調子がいいと、白いシャツを選ぶ手が早くなる。
少し気になる日は、洋服まで何だかしっくりこない。髪を結び直して、ほどいて、また結ぶ。最後には、昨日まで好きだったピアスまで似合わない気がしてくる。
頬の小さな違和感が、私全体の評価に広がっていた。
夏を過ごした肌に、勝手にいくつもの理由をつけたくもなる。
暑い日に外を歩いたこと。冷房の効いた部屋で長く過ごしたこと。眠る前まで画面を見ていたこと。
思い当たることはあるけれど、今の肌の状態の原因を、自分で決められるわけではない。
それなのに、気づけば「もっと丁寧に暮らせばよかった」と、自分への反省まで始めている。
肌が冴えない朝に、生活態度の採点まで受けるのはしんどい。
しかも採点しているのは、ほかでもない私だった。
私は作家を目指して、日々の小さな感情をブログに書いているサクラック。
人の心の揺れについては、何行も考えられるのに、自分の頬が少しゴワついただけで、こんなにも結論を急いでしまう。
今日は駄目な日、と。
まだ朝ごはんも食べ終わっていないのに。
あの人の顔より、声を覚えている
飲食と美容の仕事に、合わせて約十年携わってきた。
その間、人の顔を近くで見る機会はたくさんあった。
美容の現場では特に、お客様がご自分の気になるところを、そっと教えてくださることがあった。
「今日は肌がいまいちで」
そう言って、少し照れたように頬を隠す方。
私はそのたびに、何か適切な言葉を返さなくてはと考えていた。気にしていることを軽く扱いたくない。でも、調子のよくない部分だけで、その人の印象が決まるとも思わなかった。
今もふと思い出すのは、あるお客様の帰り際の声だ。
会計を終えたあと、その方がバッグの中を探して、「あった」と小さく笑った。探していたのは、預ける前にしまったはずの駐車券だった。
それから、少し肩の力が抜けた声で「ありがとう」と言って帰られた。
私はそのときの肌の状態を、もう思い出せない。
けれど、その声の柔らかさは覚えている。
人について心に残るものは、案外、本人が一生懸命点検しているところとは違う場所にある。
働いていた頃は、それを目の前で何度も見ていたはずだった。
それなのに、自分の番になると忘れる。
人には「今日は少しゆっくりしてくださいね」と言えても、自分には「どうして昨日のうちに何とかしなかったの」と言ってしまう。
接客の現場で私が覚えたのは、人をきれいにするには、まず自分の心が整っていることが大切だ、ということだった。
焦っていると、相手の話を聞く前に答えを出したくなる。
何かしなくてはと力むほど、相手の小さなためらいを見落とすこともある。
あの朝の私は、自分に対しても同じことをしていた。
肌に触れた途端に、「早く直そう」と考えた。
何が気になるのか。今日はどんな感じなのか。いつもと違うことをしていないか。
そういう確認より先に、気にならない顔になってから外へ出ようとしていた。
たぶん私が怖かったのは、友人にザラつきを見つけられることそのものではない。
何となく冴えない顔で会ったら、私まで何となく冴えない人として、その日の記憶に残る気がしたのだ。
文字にすると、ずいぶん大きな心配に見える。
でも、洗面所に一人でいるときには、それが案外もっともらしく感じられる。
一人暮らしの朝には、「そろそろパンを食べたら」と言ってくれる人がいない。
私はようやく椅子に座り、冷めかけたコーヒーを飲んだ。
少し苦くて、ちゃんとおいしかった。
顔のことを考えている間にも、朝は普通に進んでいた。
私の頬より先に、スープが冷めていった
待ち合わせの店には、約束の五分前に着いた。
入口を開けると、焼いたパンと温かいスープの匂いがした。奥のテーブルで、友人が小さく手を振っている。
私は席に着くなり、言ってしまった。
「今日、肌が何かいまいちでさ」
お久しぶりより先に、肌の状態を報告していた。
友人は「そうなんだ」と言って、私の顔を少し見た。それから、「暑い日、続いたもんね」とうなずいた。
それだけだった。
そのあと会話は、注文するランチの話になった。
私は内心、少し拍子抜けした。
気にしないでほしかったくせに、「全然そんなことないよ」と強く否定してもらいたい気持ちも、あったらしい。
気にしてほしくない。でも、気にしている私には気づいてほしい。
ずいぶん難しいお願いを、口に出さずに持ってきていた。
食事が届いても、私はまだ自分の顔の感触を覚えていた。
友人が話している途中、気づくと頬へ手が伸びる。
「あ、また触ってる」
自分で言うと、友人が笑った。
「朝から気になってるんだね」
責める感じのない言い方だったので、私も笑えた。
そこから、パンくずの話をした。
「最初、それまで肌のザラつきだと思ったの」
友人はスプーンを置いて笑った。
「朝ごはんだったんだ」
私も、今度はちゃんと可笑しかった。
朝は「こんなことまで間違えた」と思ったのに、誰かに話すと、ただの間の抜けた出来事になる。
気になっていた頬を少し忘れて、私は身ぶりを交えながら説明した。どのくらい真剣に確かめたか。洗面台に粒が落ちた瞬間、どれほど黙ったか。
話し終えたとき、友人が言った。
「今日、会えてよかった。ちょっと疲れてたから」
私はスプーンを持ったまま、手を止めた。
その日の私は、調子のいい顔を見せるためだけに呼ばれたわけではなかった。
一緒に食べて、話を聞いて、パンくずの話で笑う。
そんな時間を、友人も楽しみにしてくれていた。
それで全部吹っ切れた、と書けたら気持ちがいい。
でも、実際にはそこまでではない。
食後にお手洗いへ行ったとき、私はやっぱり鼻の横のメイクを確かめた。気になるところも、まだ気になった。
ただ、席へ戻る足取りは、来たときより少し軽かった。
肌のことが頭にあっても、友人の話を面白いと思える。
ゴワつきが消えていなくても、誰かと会ってよかったと思える。
その二つは、一緒にあっていいのだと、ようやく実感した。
席に戻ると、スープはほとんど冷めていた。
私は残りを飲みながら、今度は友人の話を聞いた。
気がつくと、頬に触れていなかった。
洗面台に置いたのは、明日への宿題ではなく
帰り道、ドラッグストアの前で足が止まった。
入口には、新しい季節を思わせる色のポスターが並んでいた。明るい店内を見ていると、何か一つ買って帰れば、この中途半端な気分にも区切りがつきそうだった。
私は美容が好きだ。
新しいものを選ぶ時間も、包みを開ける瞬間も好き。
だから、買い物をしない私のほうが立派だとは思わない。
ただ、この日は「今の私を早く何とかしたい」という気持ちが、少し強すぎる気がした。
何を選びたいのかより、選んだことで安心したかった。
いったん家に帰って、いつも使っているものを確かめよう。
そう決めて歩き出したあとも、ほんの少し未練はあった。何か買った日の、あの明日が楽しみになる感じ。それはそれで、欲しかった。
帰宅すると、朝のカップがテーブルに残っていた。
底には、薄くコーヒーの跡がついている。
バッグを置き、カップを洗い、洗面台の周りを片づけた。
使い慣れたものが、少し斜めに並んでいた。きれいに並べ直すと、それだけでいつもの場所が見やすくなった。
その夜は、気になる感触を何度も確かめたり、勢いでお手入れを増やしたりするのをやめた。
いつもの手順を、慌てずに終える。
これは私の気持ちの扱い方の話で、それだけで肌の状態がよくなるという話ではない。
「ゆらぎ肌」という言葉で今の感じを表したくても、それで原因まで分かるわけではない。気になる状態が続くなら、自分だけで理由を決めずに相談しようとも思った。
手を拭いたあと、頬へもう一度触れたくなった。
確かめたい。少しは変わったと思いたい。
その気持ちに気づいて、私はタオルをたたんだ。
代わりに、机のノートを開いた。
作家になりたいと思っているのに、誰にも見せる予定のないノートには、立派な文章があまりない。
買い忘れたもの。言いそびれたこと。途中で眠くなった形跡。
そこへ、この日のことを短く書いた。
「肌が気になった。でも、ランチは楽しかった」
二つを同じ行に並べると、少し落ち着いた。
朝の私は、前半だけで一日を決めようとしていた。
肌が気になる。だから、人に会うのも気が進まない。何となくうまくいかなそう。今日は自信が持てない。
そんなふうに、まだ起きていないことまでつなげていた。
けれど、実際の一日には、スープの匂いも、友人の笑い声もあった。
パンくずをつけた私の話が、誰かの疲れをほんの少し軽くする時間もあった。
肌の調子を大切にすることと、肌の調子だけで今日の自分を決めることは、私の中で近づきすぎていたのかもしれない。
もちろん、明日の朝、なめらかな頬だったらうれしい。
メイクが気持ちよく仕上がったら、たぶん白いシャツを選ぶ。
それを楽しみにする気持ちは、持っていたい。
ただ、そうならなかった朝にも、着たい服や会いたい人を、すぐに諦めなくていい。
そのくらいのことを、今日は覚えておきたかった。
あなたにも、肌の調子ひとつで、その日の自分まで小さく見えてしまう朝はありますか。
私は、たぶんこれからもある。
同じ場所を二度見するし、新しい美容液のページを開く夜もあると思う。
一度ランチを楽しめたくらいで、長年の癖がなくなるほど器用ではない。
でも次に、出かけるのを迷う朝が来たら、冷めたスープのことを思い出せる気がする。
私が頬を気にしていた時間にも、友人は私と話すために、向かいの席に座っていた。
翌朝、トーストを皿に置いてから、私は先に手を洗った。
昨日と同じ洗面所。同じ窓から入る、少し白い朝の光。
肌は、一晩で見違えるようには変わっていない。
それでも、確かめるのは一度にして、テーブルへ戻った。
コーヒーには、まだ湯気があった。
私は椅子を引いて座り、トーストをかじった。
今日はパンくずを頬へ連れていかない。
その程度の進歩を、少し気に入りながら。



