婚活へ出かける朝、私は洗面所で三回笑った。
一回目は普通に。
二回目は口を閉じて。
三回目は、歯ができるだけ見えない角度を探しながら。
笑顔の練習をしているはずなのに、最終的に完成したのは、宝くじの当選を家族にも隠している人のような表情だった。
鏡の前には、飲みかけのコーヒー。
白いカップの向こうで、私の歯だけが少しくすんで見える。
「今日の服、いい感じ」
そう言ってみたけれど、本当は服より口元が気になっていた。
きれいになりたい気持ちはある。
でも、美容に使えるお金には限りがある。
そして何より、歯の黄ばみを気にしているなんて、なんとなく人には言いづらかった。
肌の乾燥なら「季節のせい」。
体重の増加なら「むくみのせい」。
恋愛がうまくいかないなら「ご縁のせい」。
けれど、歯の黄ばみだけは、コーヒー好きの自分から届いた請求書のように感じてしまう。
私はその請求書を見なかったことにして、婚活用のリップを塗った。
少し明るい色だった。
唇が華やかになるほど、歯の色が存在感を増した。
美容とは、ときどき一か所を照らしたつもりで、別の場所にスポットライトを当てる。
その朝の私は、まさにそれだった。
誰かに選ばれる前に、笑うことを諦めたくなかった

写真の中の私は、いつも同じ口をしていた
婚活を始めてから、写真を撮る機会が少し増えた。
プロフィール用の写真。
友人と行ったカフェの写真。
食事の席で撮ってもらった一枚。
撮影中は、それなりに楽しく笑っているつもりだった。
けれど、あとで写真を見ると、私の口元はいつもきゅっと閉じていた。
「もっと自然に笑えばよかったのに」
スマートフォンの画面に向かって言いながら、私は写真を拡大する。
頬、目元、髪、そして最後に歯。
自分の顔を拡大して反省会を始めると、たいてい閉会時間を見失う。
ある日、婚活で会った男性が、店員さんに向かってとても自然に笑った。
声を立てて笑うほどではない。
ただ、口元を隠さず、相手の目を見て笑っていた。
その表情が、妙に印象に残った。
白い歯だったから、というだけではない。
「私は今、楽しいです」
そんな気持ちが、そのまま顔に出ていたからだと思う。
私は彼の話を聞きながら笑ったものの、反射的に手を口元へ持っていった。
すると彼が、悪気なく言った。
「サクラックさんって、笑うとき口を隠すんですね」
一瞬、心の中で非常ベルが鳴った。
「癖なんです」
私はそう答えた。
嘘ではない。
でも、その癖がどうしてついたのかまでは言わなかった。
帰宅してからも、その一言が頭に残った。
彼に責められたわけではない。
歯の色を指摘されたわけでもない。
それでも私は、笑うたびに自分で自分へ小さな注意書きを貼っていたのだと気づいた。
「口を開けすぎないこと」
「歯を見せすぎないこと」
「楽しくても上品に笑うこと」
上品に見せたかったというより、黄ばみを見られたくなかっただけなのに。
誰かに選ばれるために笑顔を整えているつもりで、私は自分の笑い方を小さくしていた。
少し格好悪いけれど、それが私の本音だった。
接客で見てきた笑顔と、自分の笑顔は別だった
飲食業界と美容業界で働いていた頃、私はたくさんの笑顔を見てきた。
料理を運んだときにぱっと明るくなる顔。
髪や肌が整って、鏡を見ながら少し照れたように笑う顔。
緊張して来店したお客様が、帰り際にほっと見せてくれる顔。
接客の仕事をしていると、笑顔は身だしなみの一つになる。
疲れている日も笑う。
落ち込んでいても「いらっしゃいませ」と口角を上げる。
私は笑顔を作ることには慣れていた。
けれど、自分のために笑うことには、あまり慣れていなかったのかもしれない。
美容業界にいた頃、口元を気にしているお客様がいた。
会話の途中で何度も手を口元へ運び、小さな声でこう言った。
「歯がきれいな人って、それだけで自信がありそうに見えますよね」
当時の私は、「そんなことないですよ」と笑って答えた。
今思えば、半分は本心で、半分は接客用の言葉だった。
歯が白ければ人生が変わる、なんて単純な話ではない。
白い歯が結婚相手を連れてきてくれるわけでもないし、原稿を完成させてくれるわけでもない。冷蔵庫の奥で忘れている野菜を料理してくれることも、もちろんない。
それでも、口元が気になることで笑う回数が減っているなら、話は少し違ってくる。
自信は、大きな成功からしか生まれないものではない。
朝の鏡を見たときに、昨日よりほんの少し機嫌よくいられること。
人と話している途中で、「歯、見えていないかな」と考えずに済むこと。
その小さな積み重ねが、私には必要だった。
とはいえ、すぐにホワイトニングへ申し込んだわけではない。
私は検索画面を開いては閉じ、料金を調べてはコーヒーを飲んだ。
歯を白くしたい人間が、歯の着色原因になりやすい飲み物を片手に悩んでいる。
人間とは矛盾でできている。
少なくとも、私の半分はコーヒーと矛盾でできている。
安さを疑い、高さにもひるみ、予約画面で固まった夜
自宅で使う歯磨き粉やセルフケアも気になった。
けれど、私が変えたいと思っていたのは、歯の表面についた汚れだけなのか、それとも歯そのものの色なのか、自分では判断できなかった。
そこで見つけたのが、歯科医院で受けられるスターホワイトニングだった。
公式サイトを見ると、スタンダードホワイトニングは上下16~20本が対象で、LEDライト8分×1回照射が2,950円(税込)。2回照射は5,900円、3回照射は8,850円と案内されていた。
歯科医師による事前診断後、歯科医師または歯科衛生士が施術を担当し、診察料や検査料などの追加料金はないという。
※料金やメニュー、実施院は変更される場合があります。予約前にスターホワイトニング公式サイトで最新情報をご確認ください。
私はまず、2,950円という数字を疑った。
「本当にこの金額だけ?」
「行ったら高いコースをすすめられるのでは?」
「そもそも一回で、どれくらい変わるの?」
安ければ安いで心配し、高ければ高いで後ずさりする。
財布を守る私と、笑顔を取り戻したい私が、スマートフォンの中で綱引きを始めた。
その夜、私は予約フォームへ必要事項を入力した。
あとは確定ボタンを押すだけ。
ところが突然、自分の歯を専門家に見せることが恥ずかしくなった。
歯科医院なのだから歯を見るのは当然なのに、私はなぜか「散らかった部屋へ突然プロの収納アドバイザーを招く人」のような気分になった。
迷っているうちに画面が暗くなった。
もう一度開くと、入力内容が消えていた。
小さな事件だった。
誰にも迷惑はかけていない。
それでも私は、予約さえ満足にできない自分がおかしくなって笑った。
そのとき、ふと思った。
私はホワイトニングを受けることより、「歯を気にしている自分を認めること」を怖がっていたのかもしれない。
きれいになりたいと言うと、今の自分を否定しているように感じる。
美容にお金を使うと、見た目ばかり気にしているようで後ろめたい。
けれど、コンプレックスを放置することが、自分を大切にすることとは限らない。
私は翌朝、もう一度予約画面を開いた。
今度はコーヒーを飲み終える前に、確定ボタンを押した。
白くなったのは歯だけではなく、笑うときの気持ちだった
来院した日は、少し緊張していた。
院内へ入る直前、ガラスに映りそうになった自分から目をそらし、スマートフォンで予約時間を確認した。
受付を済ませ、歯の状態や希望する白さについて話す。
私は「不自然に真っ白ではなく、黄ばみが気になりにくい程度になれば」と伝えた。
この「自然に」という言葉は便利だ。
服でも髪でもメイクでも、迷ったときの私はすぐ自然を希望する。
ただし心の中では、ちゃんと変化も欲しがっている。
施術前には口の中や歯の状態を確認してもらった。
スターホワイトニングは歯科医院で行う医療ホワイトニングで、医療機関で扱う薬剤を使い、ライトを照射する仕組みだという。
私は専門家に任せられることへ安心しつつも、少ししみないかが気になっていた。
実際、ホワイトニングでは歯の状態によって刺激やしみる感覚が出る場合があり、白さの変化にも個人差がある。
虫歯や歯のひび、知覚過敏が気になる場合は、施術前にきちんと相談しておいたほうがいい。
また、差し歯や被せ物などの人工歯は、天然歯と同じようには白くならない。妊娠・授乳中など、施術を受けられない場合もあるため、事前確認は欠かせない。
私の場合は、想像していたより落ち着いて受けられた。
施術中、口元を固定された私は、当然ながら何も話せない。
こういうときに限って、頭の中には言いたいことが次々に浮かぶ。
婚活相手との会話でもこれくらい話題が出てくればいいのに、と思った。
施術が終わり、歯の色を確認したとき、映画のような奇跡が起きたわけではない。
照明が割れ、天使が舞い降り、「純白です」と祝福してくれたわけでもない。
けれど、私には口元の印象が少し明るくなったように感じられた。
元の歯の色や着色の程度、選ぶメニューによって感じ方は異なるだろうし、希望する白さによっては複数回の施術が必要になる。
一回で理想どおりになるとは限らない。
色戻りを防ぐには、日々のケアや定期的なメンテナンスも必要になる。
「一度受ければ、ずっと何もしなくていい」という魔法ではなかった。
それでも私がいちばんうれしかったのは、帰り道にスマートフォンのカメラを開いたときだった。
人通りの少ない場所で、こっそり自分の顔を映して笑ってみる。
いつものように口を閉じた笑顔を作ったあと、少しだけ歯を見せた。
そして、もう一度。
今度は角度を細かく調整しなかった。
「うん。悪くない」
誰に聞かせるでもなく、私は小さく言った。
黄ばみが完全に消えたとか、急に別人のような美しさを手に入れたとか、そんな話ではない。
私が取り戻したかったのは、歯の白さだけではなかった。
笑う直前にかかっていた、小さなブレーキだったのだと思う。
スターホワイトニングが向いていると感じるのは、歯科医院で口の中を確認してもらったうえで施術を受けたい人、まずはスタンダードの1回照射から検討したい人、通える場所に医院がある人だ。
一方で、一度で大幅な変化を求める人、知覚過敏など刺激への不安が強い人、人工歯を含めて全体を同じ色にしたい人は、予約前に希望と歯の状態を詳しく相談したほうがいい。
安いという理由だけで選ぶのでもなく、高いメニューなら必ず満足できると考えるのでもない。
自分はどこまで白くしたいのか。
予算はいくらなのか。
痛みや通院への不安はないか。
私はその三つを言葉にしてから相談したことで、少し落ち着いて選べた。
美容は、誰かに選んでもらうためだけの準備ではない。
もちろん婚活中の私は、相手からどう見られるかを気にする。
写真写りも気になるし、「清潔感がある」と思ってもらいたい。そんな欲は今もきちんとある。
けれど今回、私は少しだけ順番を変えた。
誰かに好かれるために歯を白くするのではなく、私が私の笑顔を嫌いにならないために整える。
その結果として、人と話す時間を自然に楽しめたらいい。
必要だったのは、完璧な白さではなく、口元を隠さず笑ってみようと思える程度の勇気だったのかもしれない。
数日後の朝、洗面所には、また飲みかけのコーヒーがあった。
コーヒーをやめるという劇的な決断はしていない。
好きなものを全部我慢して白さを守ろうとしたら、今度は心のほうが黄ばんでしまいそうだから。
私は鏡の前で笑った。
一回目は普通に。
二回目は歯を見せて。
三回目は、練習している自分が恥ずかしくなって吹き出した。
まだ完璧な笑顔ではない。
角度によっては黄ばみも気になるし、これからのケアも必要だ。
それでも、あの日のように口元を隠そうとは思わなかった。
昨日より少しだけ、自分の笑顔を好きになれた。
あなたが笑う直前、無意識に隠しているものはありますか。









