夜十一時四十七分。
キッチンの白い照明の下で、私は開きかけのポテトチップスと見つめ合っていた。
スマートフォンには「ダイエット 成功者 していること」という検索結果。
右手には塩味。左手には向上心。
この勝負、向上心がだいぶ不利である。
袋を閉じようとして、一枚だけ食べた。
そして、その一枚を見送るために、もう一枚食べた。
「明日から、ちゃんとしよう」
何度目か分からないその言葉は、もはや決意というより、わが家の定型文になっていた。
ダイエットに何度挑戦しても、途中でやめてしまう。
そんな話は、決して珍しくない。
私自身、食事を減らしたことも、夜遅くに運動動画を再生したこともある。三日間だけ砂糖と絶交し、四日目にケーキ屋さんの前で電撃的に復縁したこともあった。
それでも以前、三か月で体重を落とせた時期がある。
その経験から分かったのは、成功できた私だけに特別な根性があったわけではない、ということだった。
むしろ根性は、かなり早い段階で帰宅していた。
それでも続いたのは、やる気がなくなった日の私にもできることを残していたからだ。
痩せた人が隠していた、地味すぎる毎日の話

ダイエットに成功した人を見ると、私はつい、その人の中に自分にはない何かを探してしまう。
強い意志。
高い美意識。
冷蔵庫を開けてもプリンに動じない精神力。
けれど、実際に話を聞いてみると、成功した人も迷っている。食べすぎる日もあれば、運動したくない夜もある。
違っていたのは、失敗しないことではなかった。
一度崩れたくらいで、全部を終わりにしなかったこと。
そして、気合いより先に「続けやすい暮らし」を作っていたことだった。
三日坊主になるたび、私は自分を大げさに嫌った
ある日、私は「今度こそ本気です」という顔で、三十日分の運動予定をノートに書いた。
月曜日はスクワット。
火曜日は腹筋。
水曜日はウォーキング。
木曜日は筋トレとストレッチ。
書いている間の私は、ほぼアスリートだった。
初日、張り切ってスクワットを百回した。
翌朝、太ももから正式な苦情が届いた。
階段を下りるたびに脚が笑い、椅子に座るだけで「うっ」と声が出る。三日目には運動どころか、床に落としたリモコンを拾うことすら検討案件になっていた。
予定表には、最初の一日だけ大きな丸。
その後は、美しいほどの空白が続いた。
私はそのノートを見るたびに、「また続かなかった」と落ち込んだ。
でも、本当は続かなかったのではない。
最初から、続けられない量を自分に課していただけだった。
きれいになりたい。
自信を持ちたい。
婚活で会う人の前でも、服のサイズを気にせず笑いたい。
そう思う一方で、できれば苦労は少なく済ませたい。食べたいものも食べたいし、雨の日は歩きたくない。
その本音を、以前の私は「甘え」だと思っていた。
だから、理想の女性になりきった予定を立てては、現実の私がついてこられずに脱落する。計画を作った私と、実行する私が、完全に別部署だったのである。
飲食業界で働いていた頃、忙しい日は食事の時間が不規則になった。目の前にはおいしそうな料理があり、帰宅する頃には気力がない。
美容業界にいた頃は、お客様に生活習慣の大切さを話しながら、私は休憩室で急いで菓子パンを食べる日もあった。
正しいことを知っているのと、正しく暮らせることは別だ。
その事実を一番よく知っていたはずなのに、自分のダイエットになると、なぜか知識不足ではなく人格の問題にしてしまっていた。
「私って、意志が弱いな」
そう言うと簡単だった。
けれど、自分を責めることには、不思議なくらいカロリーを消費しない。
成功した日は、やる気が満タンだったわけではない
三か月で体重を落とせた時期を思い返すと、毎日完璧だった記憶はない。
外食した日もある。
甘いものを食べた日もある。
歩くつもりだったのに、ソファに座ったまま動画を見続けた夜もあった。
ただ、以前と違ったことがあった。
「今日はできなかったから、もう終わり」と考えなくなったことだ。
夕食を食べすぎても、翌日に極端な食事制限はしない。次の食事から、いつもの量に戻す。
一時間歩けなくても、近所を十分だけ歩く。外に出たくない日は、歯磨きの間にかかとを上げる。
体重が増えた朝も、その数字だけで前日の私を裁かない。塩分の多い食事や体調など、数字はさまざまな影響で動く。だから私は、体重だけでなく「水を飲んだ」「少し歩いた」「夜更かしを避けた」といった行動にも丸をつけるようになった。
最初は、こんな小さなことで意味があるのかと疑った。
十分歩くだけなら、頑張った気がしない。
お菓子を完全にやめないなら、本気とは呼べない気がする。
私はどうやら、痩せたいだけでなく、「ものすごく努力している自分」という肩書きまで欲しかったらしい。
けれど、張り切った三日間より、気の抜けた十分間を何度も重ねたほうが、生活は少しずつ変わっていった。
ダイエットの成功者がしているのは、毎日百点を取ることではない。
二十点しか取れない日に、答案用紙ごと破らないこと。
昨日食べすぎた自分を、今日の食卓にまで連れてこないこと。
できなかった日の扱いが、以前の私とは違っていた。
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夜になると、私は少し弱くなる。
一日の仕事や人間関係で疲れたあと、冷蔵庫を開けると、冷たい光がやけに優しく見える。
「今日くらい、いいよ」
プリンは何も話さない。
それなのに、私にはそう聞こえる。冷蔵庫に深夜営業を許可した覚えはないのに、接客態度がよすぎる。
以前なら、そこで食べたあとに後悔し、「明日は朝食を抜こう」と考えていた。
ところが、空腹を我慢しすぎると、次の食事でまた反動が来る。私の場合、食べ物を敵にすると、だいたい深夜に敵と和平交渉を始めてしまう。
そこで私は、食べないための根性より、迷いにくい準備を置くことにした。
すぐ食べられるものを用意しておく。
温かい飲み物を飲んで、いったん座る。
お菓子は袋のまま抱えず、小さな器に移す。
歩く日は、朝からスニーカーを見える場所へ出しておく。
どれも、華やかな方法ではない。
SNSに載せても、「人生が変わりました」とは言いにくい。
しかし、疲れた私を動かしたのは、壮大な目標より、目の前に置かれたスニーカーだった。
成功している人は、自分の意志を過信していないのかもしれない。
疲れる日があることも、面倒になることも知っている。だから元気なうちに、疲れた自分が選びやすい環境を作っておく。
それは、未来の自分を厳しく管理するというより、少し助けておく感覚に近い。
「明日の私は、きっと立派にできる」
そう期待するのではなく、
「明日の私はたぶん疲れているから、十分で終わる散歩コースを決めておこう」
と考える。
このくらい現実的なほうが、私には合っていた。
婚活でも、最初から完璧な自分を見せようとすると疲れてしまう。背筋を伸ばし、聞き上手になり、相手の話にきれいに笑う。
けれど、ずっと続く関係を望むなら、少しくらい力の抜けた私も一緒に連れていかなければならない。
ダイエットも同じだった。
やる気に満ちた私だけを前提にすると、やる気のない私が現れた瞬間に計画が壊れる。
成功に必要だったのは、完璧な自分になることではなく、完璧ではない自分でも続けられる形を選ぶことだった。
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ダイエットを何度も始めることを、以前の私は恥ずかしいと思っていた。
一度で成功する人が立派で、何度もやり直す私は意志が弱い。
そんなふうに、勝手に順位をつけていた。
でも、考えてみれば、やめたあとにもう一度始めようと思えるのは、それほど悪いことではない。
自分の体や暮らしを、まだ諦めていないということだから。
成功者と呼ばれる人も、一本のまっすぐな道を歩いたわけではないのだと思う。
少し食べすぎ、少し休み、予定が崩れ、それでも戻る。
その小さな「戻る」を繰り返した結果だけが、あとから成功という名前で呼ばれている。
私は今でも、食べすぎる。
歩きたくない日もある。
体重計の数字に、朝から機嫌を左右されそうになることもある。
そんなときは、人生を立て直すような顔をせず、次の一回だけを選ぶ。
次の食事を普通に食べる。
十分だけ歩く。
いつもより少し早く眠る。
ノートに、小さな丸を一つ書く。
もし体調に不安があるなら、数字だけを追いかけず、医師や管理栄養士などに相談することも、自分を守る選択だと思っている。
誰かと同じ速さで痩せる必要もない。
私に必要だったのは、自分を追い込む新しい方法ではなかった。
失敗した私が戻ってこられる場所だった。
夜十一時四十七分。
あの日のキッチンで、私はポテトチップスの袋を閉じた。
正確には、二枚食べてから閉じた。
けれど、その夜を「失敗」とは呼ばなかった。
水を一杯飲み、スマートフォンのメモに「明日は十分歩く」とだけ入力した。大きな決意ではなかったから、不思議と怖くなかった。
翌朝、窓から入る光の中でスニーカーを履いた。
私はまだ完璧な成功者ではない。
それでも、昨日の自分を置き去りにせず、また歩き始めることはできる。
あなたが次に戻るとしたら、どんな小さな一歩なら選べそうですか。
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